はじめての彼女ーー再会編(3)

美咲から連絡があった。

美咲は私の高校時代からの友人で、
今もたまに連絡をくれる。

「茜ちょっと聞いて、なんと直樹から手紙が届いたの」

「手紙」

「うん、今どき」
「それで、その内容がまるで茜へのラブレターみたいなの」

「ラブレター」
茜は言葉を繰り返した。

「あいつ何で私によこすかな?馬鹿なの?」

「どんなことが書いてあったの?」

「内容はね、えーと要するに」

「僕は当時ヘタレでした。大切な人を失って僕は気づきました」
「次に茜のような人と出会ったらしあわせにできるように、いまとってもがんばっています」

小学生の作文を読むように、
わざとらしく美咲は茜に読み聞かせた。

電話の向こうから茜の笑い声が聞こえる。
美咲も同じように笑った。


仕事を終えて、ビルを出た。

夕方の空気はまだ明るくて、
帰り急ぐ人と、立ち止まる人が混じっている。

植え込みのそばで、
ひとり、落ち着きなく視線を動かす人影があった。

キョロキョロ誰かを探している姿に、
心臓が止まりそうになる。

先に見つけたのは茜だった。

視線が合って、
小さく、手を振る。

直樹は立ち竦んだ。

どれくらい、そうしていただろう。
茜の表情が、心配そうにこちらを見ている。

頭が追いつかない。
胸が痛い。
息が苦しい。

――それでも。

直樹は一歩、踏み出しそうとした。
脚が、震える。
このまま逃げ出したい。

――だけど。

今度は、自分から行かなきゃいけない。
直樹は、もう一度足に力を込めた。

「……茜」

彼女は少し心配そうに、言った。
「おつかれさま、大丈夫?」

茜は直樹に缶コーヒーを差し出した。

「お、おう」

「もしかして、スポーツドリンクの方がよかった?」

茜は悪戯っぽく笑って見せた。

直樹は慌てて言い直す。
「あ、ありがと」

「ねえ、直くんの住んでるところ近い?」

正直、茜に見とれていた。
端正な顔立ちと長い髪、そして――

――歩道で待っている立ち姿。

「直くん?」

直樹は、自分が呼ばれていることに気付かなかった。
遠い昔に置いてきた、その響き。

「え、あ、うん、歩いて行けるよ」

「じゃあ行こう」

そう言って茜は隣に並んだ。

「茜……どうしてここがわかったの?」

茜との距離感が、つかめない。
何を話せばいいのかも、わからない。

沈黙だけが、嫌だった。

「美咲が教えてくれた、ラブレターの事も」

「ラブレター?」

直樹には、何のことか分からなかった。

「美咲に手紙出したんでしょ?」

直樹は雷に打たれたように驚き、足を止めた。

「えっ、茜は読んだの?」

「ううん、ただ美咲がラブレターみたいだって」

直樹の顔が、一瞬で赤く染まる。

「いや、その、それは……」

歯切れの悪い返事しか出来ない。

「茜……あかね、元気にしてた?」

何を言っているんだ、自分は。

「うん、元気。直くんは?」

ああ、自分から墓穴を掘るような事を言ってしまった。

「元気……じゃなかったかも」

「そっか」

言葉が、途切れた。

「でも!今は……」

「とってもがんばってるんだよね」

そう言うと茜は、悪戯っぽく笑った。

それから、お互い色々な話をした。

ふと、思う。

どうして茜は隣を歩いているんだろう。
どうして会いに来たのだろう。

肝心なことは聞けないまま、
二人は歩き続けた。


部屋の前で立ち止まる。

茜は、真直ぐ直樹の目を見て言った。

「直くん、入っていい?」

始まりと終わりが、
同時に近づいているような気がした。

直樹は大きく息を吸い込み、
茜の手を握り、部屋に入った。

玄関には、脱ぎ棄てられたランニングシューズ。
きちんと揃えられているわけでもない。

キッチンは小さくて、
使われている気配が、あまりない。

部屋には、ベッドと机がひとつ。

机の上には、本が積み重なり、
開いたままのノートが置かれている。

壁には、何かのユニフォームと、
どこか外国の選手のポスター。

茜は、そっと机の角に指先を触れる。

「ここが……」

どれくらい時間が経ったのだろう。
直樹に呼ばれるまで、
茜の視線は部屋を彷徨っていた。

「茜?大丈夫?」

「うん……ここが直樹の部屋なんだ……」

「ちょっと狭いけどね」

直樹はそう言って、少し照れたように笑った。

茜は何も言わず、
一歩だけ、距離を詰める。

「……直くん」

その声は、
さっきまでよりも、少しだけ低かった。

「お願いがあるの」

「手、見せて」

茜は直樹の手を取った。
大切なものに触れるみたいに、
指先で、そっとなぞる。

「ねえ、直くんは変わった?」

茜は直樹の手を見つめながら問いかける。

「わからない、変わったと思う」

「私は、変わってないよ」

「直くん……確かめて」

茜の真剣な眼差しと、
張り詰めた空気。

ぽつりぽつり、
言葉がこぼれた。

「茜の、長い髪が好きだ」

「笑った顔も」

「真直ぐな瞳も……」

直樹から、震えるようなため息が漏れた。

茜は直樹の袖を、ほんの少し引いた。
頬が、ほんのり色づいている。

「立ち姿も」

「声も、全部……」

「全部……昔から」

「そう……一緒にいられるだけで、よかったんだ」

しばらく、沈黙が落ちる。

茜は、両手を胸に当てている。

大事な言葉を、
胸にしまいこむように。


冷蔵庫を物色していた茜が、
扉越しに直樹に呼び掛ける。

「直くん、ちゃんと食べてるー?何も入ってないよ」

「うーん、近くに食べに行こうか」

何気ない会話。
何気ない日常。

「シャワー一緒に入る?ふふ」

「……ベッド狭いね」

「もうちょっとくっついていい?」

茜が望んでいた世界。
僕が夢見ていた世界。

「……明日、早い?」

「ううん」

少し間を置いて。

「土曜日、休みだよ」

「俺も」

「じゃあ」

茜は小さく笑って、
「ゆっくりできるね」


朝、目を覚ますと、
視線の先に茜がいた。

「あ、直くん、おはよう」
「今コーヒー淹れるとこ。直くんも飲む?」

直樹は返事を忘れて、
茜の後ろ姿を、ぼんやりと眺めていた。

「直くん? あんまりへんなとこ見ないで」

あとがき

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

この「再会編」は、
二人がどうなるかを決める話ではなく、
「どう分かり合ったか」を描くための物語でした。

復縁なのか、別れなのか。
それは、あえて言葉にしていません。

けれど、
茜に愛されるとはどういうことか。
直樹がそれをどう受け取ったのか。

そこだけは、確かに描けたと思っています。

この物語はここで一区切りですが、
彼らの人生は、まだ続いていきます。

もし心に残る場面や言葉があれば、
感想などいただけると、とても励みになります。

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