美咲から連絡があった。
美咲は私の高校時代からの友人で、
今もたまに連絡をくれる。
「茜ちょっと聞いて、なんと直樹から手紙が届いたの」
「手紙」
「うん、今どき」
「それで、その内容がまるで茜へのラブレターみたいなの」
「ラブレター」
茜は言葉を繰り返した。
「あいつ何で私によこすかな?馬鹿なの?」
「どんなことが書いてあったの?」
「内容はね、えーと要するに」
「僕は当時ヘタレでした。大切な人を失って僕は気づきました」
「次に茜のような人と出会ったらしあわせにできるように、いまとってもがんばっています」
小学生の作文を読むように、
わざとらしく美咲は茜に読み聞かせた。
電話の向こうから茜の笑い声が聞こえる。
美咲も同じように笑った。
仕事を終えて、ビルを出た。
夕方の空気はまだ明るくて、
帰り急ぐ人と、立ち止まる人が混じっている。
植え込みのそばで、
ひとり、落ち着きなく視線を動かす人影があった。
キョロキョロ誰かを探している姿に、
心臓が止まりそうになる。
先に見つけたのは茜だった。
視線が合って、
小さく、手を振る。
直樹は立ち竦んだ。
どれくらい、そうしていただろう。
茜の表情が、心配そうにこちらを見ている。
頭が追いつかない。
胸が痛い。
息が苦しい。
――それでも。
直樹は一歩、踏み出しそうとした。
脚が、震える。
このまま逃げ出したい。
――だけど。
今度は、自分から行かなきゃいけない。
直樹は、もう一度足に力を込めた。
「……茜」
彼女は少し心配そうに、言った。
「おつかれさま、大丈夫?」
茜は直樹に缶コーヒーを差し出した。
「お、おう」
「もしかして、スポーツドリンクの方がよかった?」
茜は悪戯っぽく笑って見せた。
直樹は慌てて言い直す。
「あ、ありがと」
「ねえ、直くんの住んでるところ近い?」
正直、茜に見とれていた。
端正な顔立ちと長い髪、そして――
――歩道で待っている立ち姿。
「直くん?」
直樹は、自分が呼ばれていることに気付かなかった。
遠い昔に置いてきた、その響き。
「え、あ、うん、歩いて行けるよ」
「じゃあ行こう」
そう言って茜は隣に並んだ。
「茜……どうしてここがわかったの?」
茜との距離感が、つかめない。
何を話せばいいのかも、わからない。
沈黙だけが、嫌だった。
「美咲が教えてくれた、ラブレターの事も」
「ラブレター?」
直樹には、何のことか分からなかった。
「美咲に手紙出したんでしょ?」
直樹は雷に打たれたように驚き、足を止めた。
「えっ、茜は読んだの?」
「ううん、ただ美咲がラブレターみたいだって」
直樹の顔が、一瞬で赤く染まる。
「いや、その、それは……」
歯切れの悪い返事しか出来ない。
「茜……あかね、元気にしてた?」
何を言っているんだ、自分は。
「うん、元気。直くんは?」
ああ、自分から墓穴を掘るような事を言ってしまった。
「元気……じゃなかったかも」
「そっか」
言葉が、途切れた。
「でも!今は……」
「とってもがんばってるんだよね」
そう言うと茜は、悪戯っぽく笑った。
それから、お互い色々な話をした。
ふと、思う。
どうして茜は隣を歩いているんだろう。
どうして会いに来たのだろう。
肝心なことは聞けないまま、
二人は歩き続けた。
部屋の前で立ち止まる。
茜は、真直ぐ直樹の目を見て言った。
「直くん、入っていい?」
始まりと終わりが、
同時に近づいているような気がした。
直樹は大きく息を吸い込み、
茜の手を握り、部屋に入った。
玄関には、脱ぎ棄てられたランニングシューズ。
きちんと揃えられているわけでもない。
キッチンは小さくて、
使われている気配が、あまりない。
部屋には、ベッドと机がひとつ。
机の上には、本が積み重なり、
開いたままのノートが置かれている。
壁には、何かのユニフォームと、
どこか外国の選手のポスター。
茜は、そっと机の角に指先を触れる。
「ここが……」
どれくらい時間が経ったのだろう。
直樹に呼ばれるまで、
茜の視線は部屋を彷徨っていた。
「茜?大丈夫?」
「うん……ここが直樹の部屋なんだ……」
「ちょっと狭いけどね」
直樹はそう言って、少し照れたように笑った。
茜は何も言わず、
一歩だけ、距離を詰める。
「……直くん」
その声は、
さっきまでよりも、少しだけ低かった。
「お願いがあるの」
「手、見せて」
茜は直樹の手を取った。
大切なものに触れるみたいに、
指先で、そっとなぞる。
「ねえ、直くんは変わった?」
茜は直樹の手を見つめながら問いかける。
「わからない、変わったと思う」
「私は、変わってないよ」
「直くん……確かめて」
茜の真剣な眼差しと、
張り詰めた空気。
ぽつりぽつり、
言葉がこぼれた。
「茜の、長い髪が好きだ」
「笑った顔も」
「真直ぐな瞳も……」
直樹から、震えるようなため息が漏れた。
茜は直樹の袖を、ほんの少し引いた。
頬が、ほんのり色づいている。
「立ち姿も」
「声も、全部……」
「全部……昔から」
「そう……一緒にいられるだけで、よかったんだ」
しばらく、沈黙が落ちる。
茜は、両手を胸に当てている。
大事な言葉を、
胸にしまいこむように。
冷蔵庫を物色していた茜が、
扉越しに直樹に呼び掛ける。
「直くん、ちゃんと食べてるー?何も入ってないよ」
「うーん、近くに食べに行こうか」
何気ない会話。
何気ない日常。
「シャワー一緒に入る?ふふ」
「……ベッド狭いね」
「もうちょっとくっついていい?」
茜が望んでいた世界。
僕が夢見ていた世界。
「……明日、早い?」
「ううん」
少し間を置いて。
「土曜日、休みだよ」
「俺も」
「じゃあ」
茜は小さく笑って、
「ゆっくりできるね」
朝、目を覚ますと、
視線の先に茜がいた。
「あ、直くん、おはよう」
「今コーヒー淹れるとこ。直くんも飲む?」
直樹は返事を忘れて、
茜の後ろ姿を、ぼんやりと眺めていた。
「直くん? あんまりへんなとこ見ないで」
あとがき
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この「再会編」は、
二人がどうなるかを決める話ではなく、
「どう分かり合ったか」を描くための物語でした。
復縁なのか、別れなのか。
それは、あえて言葉にしていません。
けれど、
茜に愛されるとはどういうことか。
直樹がそれをどう受け取ったのか。
そこだけは、確かに描けたと思っています。
この物語はここで一区切りですが、
彼らの人生は、まだ続いていきます。
もし心に残る場面や言葉があれば、
感想などいただけると、とても励みになります。
